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天下にもその優れた治政が鳴り響いている、ネフェルタリ・コブラ様がお治めの、このグランド・ジパングのご城下へ。遊学のためにと長期滞在をなさっておられた、とある藩主の跡取り、所謂“若様”がおあり。ところがそのご遊学からして、腹に一物抱えていた人物の企みから発したものであったらしく。藩元(くにもと)を遠く離れた地にての、警護の者とて限られた、つまりは監視の緩い中にて。若様のお命を楯にするもよし、はたまた…気の長い話ではあるが、若様ご自身を洗脳してしまい、思うがままになる駒にするもよしという、独善的な企みを巡らせていたのが。何と この遊学をしきりと薦めた存在、城代家老の子息、ルッチというまだまだ若い武家の青年。向学心も厚く、清廉実直で人あたりも穏やかと、それはよく出来た人物との評判も高い、将来有望な若い衆の筆頭で。しかも、
「遊学を薦めたその上、段取りの一切を整えたのも彼だったのだが、いざ出立の段となると、当人は付き添わず、藩に居残って父の仕事の補佐を続けておったのでな。」
何と言っても城代家老という要職にあった父上は多忙であられたし、その威光なぞ関係なく、彼自身も今から既に人望厚い存在であったので。若様の傍づきとして藩から離れるよりも実務に立ち働いてくれという要望の声が多かったのと、
「…実を言えば、そのルッチとやら、養子の身であるらしゅうてな。」
実の双親は彼が幼いころに謎めいた死にようをしていたそうで。あくまでも噂ながら、そちらの地方で秘密裏に横行していた、幕府直参という触れ込みの学者集団の手になる何かしら、研究だか実験だかに関わっての悲劇と囁かれてもいたらしく。
「だからと言って ひねこびることもないままに、勉学も剣の修行も真面目に務め、それは立派な青年へと育った今は、城内勤務の役職に就き、役人として誰もが一目置くほどの存在にまでなっておる。」
先は養父殿の跡継ぎとして、藩主様や、先では若様を支える頼もしい隋臣の筆頭になろうと。誰もが疑いもしないでおるというのに、
「それが…こたびの若様のご遊学から、微妙に様子が変わりつつあって。」
正確に言えば、もっとずっと以前から。誰にも言わず、表へは出さぬようにして、何かしらをこつこつと積み上げていた彼ででもあったものか。若様を“気をつけて行ってらっしゃいませ”と頼もしくも穏やかに微笑って見送った、当地へ居残ったその日から、多少は口数が少なくなった。遊学先への文をしきりと出すようにもなった。だが、それは若様やその一行を案じてのことと、ああ相変わらずに気の回ることよと思う者はあっても、それを悪い企みごとへの兆候と思う者はなく、日が経てばそれでさえ、誰も さして気には留めなくなったくらい。そして最初の1年が過ぎゆきて。今年度は藩主様が参勤交代にて江戸屋敷へ参内なさる年だったが、頼もしい補佐である跡取りもいるご家老殿がおればまず安泰だと、何の杞憂もなさらずにご出立なされてから、半年が経っての…この事態の発覚という運び。こちらのお傍衆らの不安定な様子や、彼らがこそりと回し読んでいた謎の文の件、こそり探りを入れておれば、徐々に信じられぬ人物の名が浮かび上がって来たその上へ、
「こちらでの目付役、クロッカス殿の元へ、
藩からルッチ殿が失踪したとの報があってな。」
まさかが“まこと”になったことになり、さりとて そうそう荒立てて方をつける訳にも行かぬ。何せ話の舞台は他藩が舞台。捕り方を送り出そうにも土地には不案内な者ばかりであるし、そんな雄々しい者共を多数入らせるからには真っ当な理由も開示せねばならぬ。手数がかかるその上、相手方へも情報は流れるに違いなく、それでは迅速な手は打てないし、何よりも事態が公けに表沙汰にされては一巻の終わりだ。今時に限らぬ話、江戸の幕府は謀反を恐れるあまり、大名らの力を削り、どんな失態さえ見逃さず、隙あらば取り潰すことしか考えてはおらぬ。よって強硬な手は打てまいと、そこまでも考えてのこの段取りなら、何とも気の長い、そして周到な策を構えたルッチであったことだろか。
「黒幕を褒めてる場合じゃあなかろうが。」
のんきな話はまだ終わらぬかと、一人いきり立っていたゾロだったが。それでも…じゃあなと振り切って飛び出せぬまま、初顔合わせとなったらしい、ロビンと若様と“もう一人”の間での、状況把握の地ならしへ付き合っているのは。そのもう一人という存在が、彼にとっての途轍もない“上司”に当たる人物だからで。
バーソロミュー・くま。
身分の上下なんてもの、鼻で笑いそうなこのゾロが、それでも“猊下(げいか)”という敬称をつけて呼んだ存在。かつては“暴君”などという異名もあった荒武者で、幕府の、ではなく将軍直轄の隠密機動部隊に籍をおく幹部。各地に散っているお庭番の統括の、そのまた上の上の上の…と、到底つながりなんてなさそうなほど、遥か彼方の地位にいる存在のはずだが、
“そうか、下手すりゃ藩の存亡にも関わる事態か。”
藩の名は明かせぬとしちゃいるが、そこはお庭番だ、こちらの若様の名は知らないが、此処で遊学中でお目付役がクロッカスという御仁ならば、ああ あの藩のこったなと、ゾロにもピンと来たくらい。これまでにも一度たりとも波風立たしたことのない、誠実堅実な藩であり。ただ、問題のルッチという人物の過去にちらりと顔を出した、謎の学者集団というのが気にならなくもないけれど…。
「こたびのこの騒動、幕府には届けぬことと相成ったのでな。」
「それは…。」
その筋の者が気づいていたが、何とか自力で収拾出来そうな気配なことも見越しておった。だったら、不手際だの何だのと、いちいち話を大きくして世間を騒がすこともあるまいよと、
「大目付のレイリー老が、そうと定められた。」
「…っ。」
将軍直轄の隠密の長の言としつつ、なのに…そちらは幕府のトップ、それも各藩の動向を監視するのがお役目の、大目付の言葉とするのは矛盾してないか…と。それらの理屈が下敷きになってる人間としての反射、あ"?と 不具合感じてしまったゾロだったものの、
「複雑に絡み合い、錯綜しまくっておる事情の何やかや、
今ここで一つずつ、微に入り細に入り解説をしてほしいのか?」
「う…っ。」
もしかして…謎扱いになっている学者集団とやらが実在し、しかも本当に幕府のお声掛かりな連中だったとしたならば。何たる失態なんて非道なことをしたかとの、責任追及をされるので、そちらを隠すその代わりの“大目に見よう”ということなのかも。そういったもろもろを事細かに検証してゆくと、あと何刻かかるか判らんぞと。相変わらずに淡々とした口調と態度のまんま、さらりと…相手の痛いところを的確につくよな物言いをしてしまわれる“猊下”だったりし。
“このお坊様を、こんなにあっさりと“言い負かす”なんてね。”
そのややこしいあれやこれや、たとえ訊いても結局は詮無いと、そこまでもを仄めかしてしまう言いようへ、ロビンまでもが肩をすくめてしまい、そして、
「話はここまで。
お主がこの件に関して、探査の眸を突き入れることはまかりならん。
……が。」
やはり感情を込めぬ言いようで、付け足された“……が”に合わせ。ただでさえ恐持てな印象の強いお顔を、尚のこと忌々しげに歪ませていた、雲水姿のお庭番へ向け、眼鏡越しの冷ややかな視線を向けたご大層な上役様は、
「こたびの騒ぎへ巻き込まれてしまったという、こちらの藩の人物を、
助け出したいとする働きに関しては、
我らも尽力を傾けることをやぶさかではないとする。」
「………………は?」
さほど難しい漢字を使ってはなかったが、それでも言い回しがあまりにも四角いそれだったので。何だ何だ、何てった?と、聞こえた言いよう、理解出来ないまんまなゾロへ向け、その両手から手套を外し始めた彼であり……、
◇◇◇
………で。(こらこら)
「…っ!」
全ては一瞬、刹那の永遠。ハッと我に返ったと同時、すぐの目の前で、久し振りにその姿を見る親分さんが…妙な大衣装姿のまんま、足元不安から後ろへずるりんと転びかけており。
「ちょーっと待ったぁ!!」
思うより早くに、手や体が動いている。体勢崩したルフィの、姿勢が傾いたことでわずかに開いた空隙へ、大きく踏み出すことで割り込むように身を入れて、その動作と同時進行、錫杖に仕込んだ太刀を引き抜き、振り下ろされんとしていた凶刃を受け止めた。
「…ゾロ? 今どっから沸いて出た?」
「だあ、そんな細けぇこたあ、後だ後っ。」
屋外にいたはずが、見覚えのない…どこかの屋敷の中らしい、片付いた座敷に立っている自分であり。あの猊下様が得手としている、噂の瞬間移動とやら、この身へ浴びたらしいと理解が追いついて、
“あんの くまのヤロ、有無をも言わさず人を“飛ばす”んじゃねっての。”
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*ゾロのサイドの“ここまでの経緯”でございます。
さあ、あとちょっとだvv

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